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最高裁判所大法廷 昭和24年(オ)105号 判決

上告人(申請人) 吉村益郎 外一名

被上告人(被申請人) 株式会社朝日新聞社

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人等の負担とする。

理由

以下、労働組合法は労組法、労働基準法は労基法、労働関係調整法は労調法と各略称する。

上告人訴訟代理人森長英三郎上告理由第一点、同青柳盛雄同第三点について。

論旨は、原判決は労調法四〇条(昭和二四年法律第一七五号による改正前の四〇条)の解釈を誤つている違法がある。即ち(イ)労組法(昭和二〇年法律第五一号旧労組法)は新憲法以前の法律であるため、労働者の争議行為を保護するための規定としては一条二項、一二条があつたけれども、新憲法二八条が新たに労働者の争議権を保障した結果、これを具体的に保護するため新憲法後にできた労調法はその四〇条をもつて争議行為を理由とする解雇その他の不利益な取扱を禁ずる規定を設けるに至つたものである。従つて同法同条の解釈は右の沿革と立法精神に基いてなされねばならないことが根本において要請される。(ロ)同条本文の「使用者は、この法律による労働争議の調整をなす場合において労働者がなした発言又は労働者が争議行為をなしたことを理由として……」の規定の解釈に関し二つの説がある。即ち調整中における発言と調整中における争議行為に限るとの説と、調整中における発言と一般の争議行為を指すとの説である。しかし、労調法が自主的調整(同法二条、三条、四条、五条、一六条、二八条、三五条)をも認めている点から考えて右解釈のいずれによるも本件は同法四〇条の保護を受ける争議行為に該当するものである。(ハ)又本条の保護を受ける争議行為は正当な争議行為に限るとの説があるが、これは誤りであつて凡そ争議行為を理由とする解雇又は不利益な取扱は本条の保護を受けるものと解する。その根拠は労組法(旧法)一条二項・一一条・一二条には「正当なる」の辞句があるのに右労調法四〇条にはこの辞句がない。又正当な争議行為のみと解するときは、その正当か否かの解釈を使用者側一方の判断によらしめることになり、解雇のような労働者の死活に関する事柄を一方的に断ぜられる不当がある。或は最終的には裁判所の判断を受け得られるというけれども、裁判あるまでに既に労働者は致命的の損害を受ける不当がある。なお争議行為の形態は時の推移によつて異なるものであるのに、その当否の判断を使用者側の一方に任せたものとは解せられない。なお同四〇条は新憲法二八条によつて与えられた労働者の争議権に関する保障を実現するための規定である立法精神から考えても、これを使用者側一方の判断に任せらるべき性質のものではないのである。(ニ)次に本条但書の労働委員会の同意は、当該争議行為の正当か否かの判断を労働委員会に委せんとしたものではなく、却つてその争議行為の正当であると否とにかかわらずすべての場合これを労働委員会の同意に係らしめ、もつて当該労働関係調整の目的を達成せしめんとしたものと解すべきである。ただ正当争議行為に対しては、たとえ労働委員会の同意があつても解雇その他不利益取扱の処分は有効とならないことは勿論である。(ホ)そして同条に違反した使用者に対しては同法四一条の刑罰制裁があることは勿論、労働委員会の同意を得ないで解雇その他不利益取扱をした場合の私法上の効果については学説判例は必らずしも一致しないが、無効と解すべきものである。従つてこの点私法上の効果に関係ないと判断した原判決は誤りである。(ヘ)以上は同条が憲法二八条の保障を実現するための規定であることからくる当然の結論であるから、以上に反する解釈は違憲であり従つて以上と反する判断をした原判決は違法の判決であると主張するのである。

按ずるに、労調法は昭和二一年九月二七日法律第二五号として公布され同年一〇月一三日から施行されたものであるから、論旨の前提とする、同法四〇条は新憲法が制定された結果新憲法二八条の保障実現のための立法であるとの所論は誤りであるが、それはさて措き、労調法四〇条は労働関係につき公正な調整を図りもつて産業平和の維持を使命とする斡旋員又は労働委員会によるこれ等公の機関によつて調整手続がなされているにかかわらず、使用者が労働委員会の同意なくして同条本文所定の事由をもつて労働者側に対し解雇その他不利益な取扱をなすことができるものとするときは、前示機関による調整を困難におとしいれる恐れあるをもつて、これを防止しもつて調整の公正にして円滑なる進行を期せんとする趣旨の規定と解すべきである。それ故同条にいう「調整」とは同法所定の斡旋員又は労働委員会によつてなされる正規の斡旋・調停・仲裁による調整をなす場合を指すものと解すべく、換言すれば同条による労働委員会の同意を要するのは、現に右にいう正規の調整の行われている場合を指すものと解すべきものである。しからば右正規の調整に這入つているものであることにつき何等の主張及び疎明のない本件においては、右労調法四〇条の適用あることを前提とする論旨は既にこの点において失当であるから採用することができない。

森長代理人上告理由第二点、青柳代理人同第一点について、

論旨は、原判決は労働協約甲乙両号共に失効したとの前提の下に本件解雇を正当だと判断したのは違法であると主張する。即ち(イ)日本新聞通信放送労働組合(前組合)と全日本新聞労働組合(後組合)とは解散と新設の形式は採つているけれどもその実体は同一である。即ちただ組合加入者の出入が多かつたというに過ぎないのであつて、これ恰かも人が着衣を替えたというに過ぎないのである。又前後の組合に思想又は闘争方針に相違があつても、それは人の思想に変化があつても人格に変りがないのと同様である。然るに原判決は右をもつて別個の人格と認定したのは違法である。なお労働組合は商品取引の団体ではないから組織に変更があつてもこれがため第三者に損害を与える恐れのあるものではなく、従つて組合に新旧変更があつても労働組合は労働条件について交渉することが主目的であるから、解散新設といい又は組合員に出入があつたとしてもその中心となる構成員に変更のない限り交渉団体として法律上前後同一人格を有するものと認むべきである。そもそも労働組合は始終組織に変化のあるものであつて、組織変化の都度既約の団体協約が失効するものとするときは、常に団体協約は使用者側に有利に破棄又は変更される恐れあがり、それでは労働者の団体交渉権と産業平和の確立はこれを期することはできない。(ロ)仮に本件団体協約甲号が失効したと解し得るとしても同乙号は有効に存続するものと解すべきである。けだし乙号協約の当事者の一方たる朝日支部はその構成員は前後同一であるからである。然るに原判決は朝日支部は日本新聞通信放送労働組合たる単一組合の一構成分子であるから右単一組合の解散によつてこれと運命を共にしたと解したのは違法である。即ち朝日支部は朝日支部として労働委員会に提訴する等独立して団体交渉権を持つている。即ち右単一組合も支部も各独立した労働組合と解すべきである。原審はこの点につき釈明権の行使を怠つた違法がある。要するに本件団体協約乙号はなほ有効に存続している。しからば右団体協約乙号三条及び同附属覚書三項に各違反した被上告人会社の本件解雇処分は違法であると主張するのである。

しかしながら原判決の理由によれば、(1)所論の団体協約甲号及び乙号並びに各附属覚書甲号及び乙号は、いずれも昭和二一年一一月三〇日、甲各号は日本新聞通信放送労働組合と被上告人会社との間に又乙各号は同組合朝日支部と上告人会社との間におのおの締結されたものであるが、右団体協約乙号は同甲号に基いてできたものであること、(2)右日本新聞通信放送労働組合は単一組合であつて同組合朝日支部は右単一組合の一構成分子に過ぎないものであること、(3)右単一組合は昭和二三年七月二七日新たなる全日本新聞労働組合設立と同時に発展解散する旨の決議をし、右新組合は同月三一日前の組合員であつた赤旗社を除き新たに読売新聞社外数社を加えて結成大会を開き前示前組合の決議を承認して同年九月七日前組合の解散届と新組合の仮設立届を同時に提出し、更に同年一〇月二九日新組合の正式設立届をしたこと、(4)右前後組合の解散及び設立の事情は、前組合では全国の新聞労働者の大同団結が困難であり読売毎日その他の組合が脱退しており又全国的に見て参加していないものが相当あつたので、新組合ではそれを統一して大同団結するため産別協議会より脱退し面目を一新して新加入の方式によることとしたため前組合と新組合とは根本的に思想的立場を異にし、その組織・綱領・規約・構成員等の点において相当重要な変更のあること等から見て法律上同一性のない別個の組合であつて、従つて前組合は解散により消滅し新組合は新たに設立せられたものと認めること、(5)そして前示団体協約甲乙各号並びに附属覚書甲乙各号を被上告人会社と新組合との間に受継したものと認むる何等の事跡のないことの各点を認定判示しているのである。

しからば所論団体協約甲号及びその附属覚書甲号は、その協約一方の当事者である日本新聞通信放送労働組合が既に解散消滅に帰した以上、他に特段の事由の存在を認め難い本件においては右労働協約甲号及びその附属覚書甲号が失効することは当然であり、又右組合朝日支部は右単一組合の一構成分子に過ぎないものである以上、支部は単一組合とその運命を共にすべく、従つて労働協約乙号及びその附属覚書乙号が右甲号協約とその運命を共にするものと認むるを相当とする。次に朝日支部が独立して提訴又は団体交渉権を持つていたとの事実は原審の認定していないところであるから、右事実を前提とする所論は理由がない。そして朝日支部が独立した組合であるとの事実は前記の如く原審の認定しないところであり、所論はこの点に関する原審の釈明権不行使の不当を鳴らすけれども、かくの如き事項は当事者自ら主張すべき事項であつて裁判所に所論のような義務あるものではない。殊に本件においては朝日支部は右単一組合の一構成分子に過ぎないものであるとの主張は第一審以来被上告人によつて主張され、そして既に第一審判決においてそのとおり認定判示されているところであるから、上告人において右と反対の事実を主張せんと欲するならば少なくとも原審において進んでそれを主張し且つ疎明をなすべかりし筋合であつたにかかわらず、終始右の主張も疎明もなされていない本件においては、この点の所論も到底採用に値いしない。

森長代理人上告理由第三点について。

論旨は、仮に本件労働協約甲乙両号のすべてが失効したとしても団体協約には規範的部分と債務的部分とがあり、前者は団体協約個々の組合員の全員に直接関係する事項であるから、所謂予後効としてこの部分の効力はなお有効に存続する。従つて組合朝日支部員の解雇については同支部の承認を要するとする本件団体協約乙号三条と同一の内容規範は同協約失効後もなお有効に存続するものと解すべきであるから、右支部の承認を経ないでした本件解雇は無効である。そして団体協約は一種の規範であつて法的性格を持つものであるから、当事者の主張がなくとも裁判所は職権で釈明権を行使しこれを調査判断すべきものであると主張する。

しかしながら、所論団体協約乙号三条所定の解雇承認条項の如きは、組合が消滅したる後においてもなお効力を有するものとは認め難いから、右条項に関する限り原審の判断は結局正当であるから論旨は採るを得ない。

森長代理人上告理由第四点、青柳代理人同第二点同第四点について。

論旨は、原判決が本件争議行為を違法の争議行為と認定したのは違法であるとの前提の下に、(イ)本件問題の昭和二三年一〇月一六日被上告人会社側の非組合員職員によつてなさんとした操業行為を上告人等組合員側において排除したのは、団体協約乙号附属覚書三項の「会社は正当な争議中の支部員の部署を他の如何なる者を以ても代置することが出来ない」との定めによるものであつて、本件右排除行為は正当である。(ロ)仮に団体協約乙号及びその附属覚書が失効したものとしても、上告人等組合員側においては本件の場合右協約及び覚書は有効に存続しているものと信ずるに足る正当の理由があり、従つて正当行為と信じてした本件排除行為は正当である。少くとも解雇に値いする違法行為ではない。(ハ)我国においてはストライキは労働者が労務の提供を拒否し労働の真価を使用者に知らしめる以上に出でてはならないと説く者があるが、我国の現状では右の如き消極的な争議手段では忽ち使用者側によつて個々に組合員が切り崩され或は第二組合を結成される等、到底争議行為はその目的を達成することができない実情である。されば組合員による職場占拠は正当な争議手段の範域に属するものといわなければならない。(ニ)或は職場占拠は正当であるとしても、会社側によつてなさんとした業務を妨害したことは違法であるというかも知れない。しかし我国における労働争議の現情においてはココまで来なければ到底争議はその実効を収められない実情である。そして資本家側は屡々新憲法は資本家側の財産権と労働者側の争議権とは対等にこれを保護していると主張するのであるがしかし争議行為は常に財産権を侵害するものであるから、憲法二九条の財産権の保障は労働者の生存権とその地位の向上に必要な限度において制約される。即ち資本家側によつてなされるスト破り行為は右の制約下において否定されるべきものである。(ホ)又そもそも本件排除行為は会社側の業務を妨害したものではない。即ち当日の具体的事実は会社側申請の原審証人米山保の証言によるも、組合員側はただ「スクラムを組んでワツショワツショとやつただけ」である。ただ毛利広が米山の脇を捉えてこれをスクラムの外に出そうとした事実はあるが、その時米山は業務を執つていたものではなく、又米山の傷も暴行を受けた結果のものではなくして、同人自身大組台につかまつたために受けたものであり且つホンのカスリ傷である。被上告人会社側は頻りに本件争議行為をもつて会社の業務を妨害したものであると主張するけれども、僅か三、四の非組合員職員によつては到底当日の短時間内に仕上げねばならない新聞活版部の仕事ができる筈のものでないことは顕著な事柄であり、従つてこれをもつて業務の執行とはいえないから、たとえこれを妨害したとしても業務の妨害とはいえない。(ヘ)原判決は本件争議行為を違法な争議行為であることの理由として、新聞発送の遅れたことと新聞紙の持つ重大使命を挙げ且つ上告人等の本件行為により被上告人会社に莫大な損害を与えた旨判示しているのであるが、右はストライキ当然の結果であつて使用者側に損害を与えないストライキはないのである。又新聞紙の重大使命があるからといつて、新聞従業員のストライキを禁ずる根拠とはならない。(ト)以上のとおり本件争議行為は正当行為であり、少なくとも旧労組法一条二項によつて違法性は阻却され、更に少なくとも本件事実は解雇の極刑処分に値する行為ではない。しかるに原判決は本件争議行為を違法なものとし、もつて本件解雇を正当と判断したのは憲法二八条の保障を無視した暴断であつて到底破棄を免れないものであると主張する。

按ずるに右論旨(イ)及び(ロ)点については、団体協約甲乙両号及びその各附属覚書は本件行為当時何れも失効していたものであることは既に説明したとおりであるから、論旨は採用し難い(解雇の当否については第六点に譲る)。次に論旨(ハ)乃至(ト)の点については、原判決は『上告人等(被控訴人等)指導の下における印刷局活版部の罷業に対し鳩首協議の結果最早一刻の猶予もならずとして当日(昭和二三年一〇月一六日)午後八時二五分頃佐用活版部長米山写真部長新海編輯局庶務部長等が活版工場に赴き四版を大組するため先づ佐用部長が大組台に就き米山新海両部長がこれを援助して作業を開始しようとしたところその場に待機していた活版部員のうち約三〇名は上告人毛利同中屋の指揮命令により前記三名を中心にスクラムを組み右職員等を大組台と共に二重に取囲んで十数分の間円周運動をして同人等の作業を妨げ上告人毛利はスクラム内に取囲まれながら大組台を倒すまいとこれを捉まえていた米山部長を大組台からスクラム外に無理に引張り出そうとしたため同人の左手小指に治療日数五日を要する傷害を被らしめ上告人吉村は右現場において黒住編輯局長から右活版部員等の業務妨害の現状を指摘しつつ「組合員外の部長以上で作業するのを妨害するな」と詰問されるや「あなたは団協が無効であるとの裁判所の判決書を持つて来たか、職場は組合員のものである支部員以外の者を以て作業するのは団協に違反する」と応酬し午後八時四〇分頃右職員等をしてかかる喧噪裡において重要な版組作業を継続することは到底不能であると断念せしめて引揚げるのやむなきに至らしめたが、これがため当日発行の新聞は平常通り輸送されたのは僅かに五万九千部列車に積遅れたためトラツクで輸送されたもの九万八千部で他の四七万部は全部一日遅れとして追送されるの余儀なきに至らしめ以て控訴会社に対し莫大な損害を被らせた事実が疎明せられる』との事実を判示しているのである。是に由つて見れば、当時上告人等組合員側のした行為は単なる職場占拠に止まらず、被上告人会社側の非組合員職員によつてなさんとした業務の遂行を暴行脅迫をもつて妨害したものであつて、違法な争議行為であることは寔に明瞭といわねばならない。けだし、同盟罷業は必然的に業務の正常な運営を阻害するものではあるが、その本質は労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は労働者が団結してその持つ労働力を使用者に利用させないことにあるのであつて、これに対し使用者側がその対抗手段の一種として自らなさんとする業務の遂行行為に対し暴行脅迫をもつてこれを妨害するが如き行為は、叙上同盟罷業の本質とその手段方法を逸脱したものであつて到底これを目して正当な争議行為と解することはできないのである。そしてこの事は法令等に特別の規定が存しない限り労働事情の如何によつて右解釈を左右されるものとは考えられない。若しそれ所論の如く使用者側による所謂切り崩し又はスト破り行為等の行われる恐れありというだけでは、未だもつて上告人等労働者側の前示行為を正当化せんとする根拠とはなし難いものと解せられるのである。又被上告人会社側の僅少な職員による作業も、たとえこれをもつては当時予定作業(四版大組作業)の全部を完遂することはできなかつたとしても、その作業の遂行をなさんとしたものであることは右原判決の認定事実によつて認めることができるところであり、次に原判決の新聞紙の持つ重大使命云々並びに損害に関する各判示は、前者は新聞紙の重大使命に鑑み当時一刻も猶予し難い事態であつたため非組合員職員による作業を遂行せんとしたのを違法な行為によつて之を妨害したものであるとの意味の判示であつて、新聞従業員に正当なる労働争議乃至争議行為権のあることを否定した趣旨でないことは明瞭である。又後者は本件違法な争議行為による損害をも含めた意味の判示であつて、正当な同盟罷業によつて生ずる本然の損害を示した意味の判示でないことも亦明瞭であるのである。以上の如く原判決には何等所論の違法はないから論旨はすべて採用することができない。

森長代理人上告理由第五点について。

論旨は、本件解雇は、就業規則に基いたものであるが、当該就業規則は法定の要件を具備していない無効のものであるから本件解雇は違法であるとの前提の下に、(イ)本件就業規則は労基法九〇条一項所定の労働者側の意見を聴いていない違法がある。(ロ)又この規則は同法八九条所定の届出はあるが、右届出以後本件争議行為当時までは同法一〇六条一項所定の掲示又は備付により労働者に周知の方法を講じていない違法がある。そして上告人はこの事を争つているにかかわらず原審は釈明権を行使してこの事実の有無を明らかにせず又判決でこの点を判断していない違法がある(ハ)右の如く周知の方法を講じていないものであるから従業員はこれを遵守することができない。従つて遵守することのできない就業規則に基いてなされた本件解雇は無効である。(ニ)就業規則は労基法の細則的なものであり労働関係の平和時に適用あるものであつて争議行為に適用あるものではない。然るに原判決は争議行為を理由とする本件解雇に就業規則を適用したものであるから違法であると主張する。

しかし(イ)点につき、原判決は「昭和二十三年八月九日新組合朝日支部から意見書(甲第九号証)の提出があつたので……控訴会社(被上告人会社)は右意見書を具して同月十一日その届出をなし同月十八日正式に受理されたものである」と認定しているのであり、記録によれば甲第九号証は正に右にいう意見書であることが認められるからこの点の論旨はその前提において理由がない。次に(ロ)及び(ハ)の点については、仮に被上告人会社側において所論の如く労基法一〇六条一項所定の周知の方法を欠いていたとしても、前段に説明の如く当該就業規則は既に従業員側にその意見を求めるため提示され且つその意見書が附されて届出られたものであるから、被上告人会社側においてたとえ右労基法一〇六条一項所定の爾後の周知方法を欠いていたとしても、これがため同法一二〇条一号所定の罰則の適用問題を生ずるは格別、そのため就業規則自体の効力を否定するの理由とはならないものと解するを相当とする。けだし就業規則は使用者がその労働者の労働関係を規律する目的の下に制定するものであつて、その内容が法令又は労働協約に違反するところがない限り、労働者側の承認を要せず使用者側の一方において作成決定し得るものであり、ただ労働者側の意見を聴き、且つその意見書を添付して所管行政官庁に届出することを要するものであるが、本件就業規則は以上要件を履践されたものであることは前段説明のとおりであるからである。されば該就業規則を適用して解雇した被上告人会社の本件解雇を適法と判断した原判決は結局正当であるから本論旨はこれを採るを得ない。次に(ニ)点については本件解雇の理由となつた事実は既に説明したとおり違法な争議行為の点に存するのであつて、正当争議行為を事由としたものではないから、その適用すべき事由が平和時でなく争議行為時に生じたものであつたとしても、これに就業規則を適用するの妨げとなるものとは解せられない。従つてこの点の論旨も採用することができない。要するに原判決には何等所論の違法はないことに帰するから、論旨はすべて理由がない。

森長代理人上告理由第六点について。

論旨は、仮に就業規則の適用があるとしても、極刑たる本件解雇の制裁は不当であり、そして就業規則は労基法の細則の如きものであつて法規的性格をもつものであるから、裁判所は当事者の主張がなくてもこの点当否の判断を要するものであると主張する。

按ずるに、原判決理由によれば「よつて進んで本件解雇が正当であるかどうかについて考察すると控訴会社(被上告人会社)は右の解雇処分は被控訴人等(上告人等)上告人等の所為が就業規則第十条第十一条第四号第六十五条第一項第六第九第十一号第六十六条第四項に該当するから同規則によつて処分したものであると主張し……而して該就業規則によれば前段において認定した被控訴人等のなした業務妨害の所為は控訴会社の主張する各条項に夫々該当し控訴会社に解雇権の存することが疎明され」ると判断しているのである。そして当裁判所は右原審のした認定及び判断は適法であつて、この間何等違法不当の廉あるを認め難いから、論旨は採用することができない。

昭和二四年七月一四日附森長代理人提出の準備書面と題するもの同年同月三〇日附森長、青柳両代理人連名提出の第二準備書面と題するものは、いずれも上告理由書提出期間経過後の提出にかかるものであるから、いずれも判断を与えない。

以上のとおり本件上告は理由がないから、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い主文のとおり判決する。

この判決は裁判官栗山茂、同小谷勝重、同藤田八郎、同小林俊三の次の各意見を除く外は、裁判官一致の意見によるものである。

裁判官小谷勝重の「森長代理人上告理由第三点」に対する意見は次のとおりである。

所謂予後効(余後効又は事後効)なるものは、(イ)既存の労働協約が所定の事由により失効し当事者無協約状態となつた場合、又は(ロ)当事者の一方(又は双方)の人格(法人でない労働組合にあつてはその労働組合としての法律上の同一性)に変動があり、従つて従来の労働協約は新当事者間に効力を失い且つ無協約状態であるが、使用者側の人格に変動があつても事業の同一性には変更のない場合又労働者側の人格に変動があつてもその団体としての統一性即ち労働組合としての実体には変更のない場合、以上(イ)(ロ)等の場合にいわれる問題であると私は思惟するのである。従つて本件の場合、後の労働組合(全日本新聞労働組合)は前の労働組合(日本新聞通信放送労働組合)とは法律上同一性を欠くに至つたもの(即ち人格に変動)であつても、上示労働組合としての実体には変更がなかつたものとするならば(この点原判決は右実体にも変更があつたとも又なかつたとも認定していない)、所謂予後効なるものはここにおいてか問題となる筋合であるから、本論点に関する本判決(多数説)の判断はその説示不十分(即ち後の組合はその実体においても前組合とは異なつたものとの前提に立つての判断によるものか否かが不明)乃至は論点に対する正解の判断とはいえない(即ち前後組合が既に人格において法律上同一性を欠くに至つた以上は、たとえその労働組合としての実体に変更がなくても最早予後効の問題は生じないとの前提に立つての判断であるとすれば)ではないかと思われる。よつて私は本点に関する本判決(多数説)の判断説示には賛成し難いのである。

私は本点に対し次のとおり判断説明したい。

即ち、

しかしながら、仮に労働協約に関し所論の所謂予後効なるものの存在を認容し得るものと仮定するも、それは所論も主張する如く労働協約中の規範的部分に限らるべきであり、そして労働協約の規範的部分とは労働条件に関し一般的又は客観的に見て規準となるものを指すのであつて、所論本件乙号協約三条所定の解雇承認条項の如きは、右一般的又は客観的に見て労働条件の規準となるものは認め難いからこれを労働協約の規範的部分とは解し難いのである。されば所論三条の条項をも含む乙号協約の全部につきその内容の有効存続を否定した原審判決は、少なくとも右解雇承認条項に関する限り、右判断と同一の結果に帰するから、原判決には結局所論の違法はないことに帰するものである。それ故論旨は採用することができない。

裁判官栗山茂及び裁判官小林俊三の意見は次のとおりである。

上告代理人森長英三郎上告理由第一点、同青柳盛雄第三点について。

労調法四〇条(改正前)の「この法律によつて労働争議の調整をなす場合」とは、労調法に従つて、労働委員会による斡旋、調停又は仲裁(以下単に労働委員会による調整という)の開始された場合のみに止らず、労働関係の当事者が互いに自主的調整を開始した場合をも含むと解するを相当とする。その理由は次のとおりである。

(一) 労調法は、常に争議の当事者が、争議を自主的に予防し又は解決することを原則とし、これに配するに、労働委員会の面より公正な斡旋、調停又は仲裁等の助力を与えることを目標として、組立てられている。従つて法の意図するところは、第一次には、当事者双互の自主的調整であり、第二次に労働委員会による調整が加わるのである。そのために、当事者は予じめ、互に労働関係を適正化するように、労働協約中に、常に労働関係の調整を図るための正規の機関の設置及びその運営に関する事項を定め、且つ労働争議が発生したときは、誠意をもつて自主的にこれを解決することを要請されている(二条)。それ故労調法が、法的調整方法を定めているけれども、そのために労働関係の当事者が、直接の協議又は団体交渉によつて、労働条件その他労働関係に関する事項を定め、又は労働関係に関する主張の不一致を調整することを妨げるものでないとともに、また労働関係の当事者が、かかる努力をする責務を免除しているものでもない(四条)。すなわち法は、労働関係の当事者の自主的解決を先ず期待していることが明らかである。

(二) 次に労調法四〇条の定められた理由は、労働争議の発生した場合、当事者の間に調整の手段がとられたときは、その調整について交渉が継続しているにかかわらず、他方に使用者側から、労働者の発言又は争議行為を理由として、解雇その他不利益な取扱をすることは、争議を激化する原因を附加するのであつて、調整の目的とは全く相反するからである。そしてこの理由は、調整が当事者間に自主的に開始された場合でも全く同じであつて、この場合を除外しなければならない格段の根拠は考えられない。労働争議が発生したときは闘争である以上、争議行為の発生が通例であり、当事者双方は、そのために各種の手段を用いるであろうし、また双方の間の感情の対立が次第に激しくなることも当然であるから、すでに当事者の意思によつて自主的に調整に入つた以上、その成否が決るまで、解雇その他の理由があつても、これを労働委員会の同意にかからせ、調整の成就を第一の目標として、第三者の冷静な判断を組み入れたのである。もし労働委員会の同意を要する場合を、労働委員会による調整が開始した場合と狭く解するときは、法が特に当事者の自主的調整を期待し、むしろこれを当事者の責務(四条末段)とした趣旨の大半を失わしめることとなるであろう。

(三) 特にここに注意を要するのは、労働協約中に通例定められるようになつたいわゆる「平和条項」である。早くから平和条項を入れた労働協約もあるにはあつたが、特にそれが姿を示しはじめたのは、昭和二二年後半期頃からであつて、現在ではすでに常例となつたと認めていいであろう。平和条項は、本来争議そのものの予防をも考えているであろうが、主たる目的は、争議が発生した後において、その拡大激化を防ぎ、できる限り当事者双方の努力により、調整の方法によつてこれを解決しようとする意図をもつているのである。多数の平和条項に通じて例となつているところは、争議が発生したときは、直ちに争議行為に移ることなく、当事者は予じめ定めた機関(例えば経営協議会又はその他の名称の機関)の調整に附してその解決を図り、なお成らざるときはじめて労働委員会に持ち出すという仕組である。また平和条項中には特別の機関を設けることなく、例えば、紛議を生じた場合は双方誠意を以て協議又は団体交渉をなし、まとまらないときは更に労働委員会の斡旋調停又は仲裁に附する等あらゆる平和手段をつくし云々というように定めているものである。これらの定めは、正に労調法二条の「常に労働関係の調整を図るための正規の機関の設置及びその運営に関する事項」に当るのであり、また三条、四条等の、法が当事者の自主的調整を先ず期待する趣旨に当るのである。昭和二三年に入つてから以後、わが国におけるいく多の争議が、この条項を定めた労働協約に基いて、先ず当事者間の自主的調整に入つた実例は、中央地方の労働委員会の記録を調べて見れば、数え切れないほどあるであろう。このような自主的調整は、労働委員会の関与する調整と実質においてなんら異なるところはなく、正しく労調法の要請する自主的調整に応えるものである。従つてかかる場合を、労調法四〇条の適用外に置かなければならないような格段の理由は考えられない。また反対の解説も多数あるようであるが、以上のような現実の理由を特に除外しなければならないことについて、未だ十分な説明を聞いていない。

(四) なお、この「調整をなす場合」を目して、本来労働争議というものは、それ自体労働関係の調整を目的としているから、それだけで常に自主的調整をなす場合に当ると解することもできない。なるほど労働争議は、常に労働関係の調整を最終の目的としてはいるが、労調法にいう調整とは、具体的に起つた労働争議そのものをまとめる手段をつくすことをいうのであつて、終局の目的の意味に用いられているのではない。従つて、労調法にいう「労働争議の調整をなす場合」とは、労働争議が発生した後、少くとも当事者の意思に基いて調整に入つたことを意味すると解さなければならない。

(五) 労調法四〇条の「労働委員会の同意」を要する場合を、労働委員会による調整が開始した場合の意味に狭く解する説は、法に「この法律によつて労働争議の調整をなす場合」(五条を含む)とある文理的理由が主たる根拠であると思われる。

しかし文理的に見ても、(イ)この法律というものはもちろん労調法であつて、第一条からはじまるのであり、法は前にくり返したように、労働委員会による調整より先に、当事者の自主的調整を期待しているのみならず、これを当事者の責務ともしている(二条三条四条)。(ロ)また法は、労働委員会の斡旋、調停又は仲裁の規定にかかわらず、争議の当事者が双方の合意又は労働協約の定めにより、当事者独自の調整方法によつて、事件の解決を図ることを妨げるものでないことを明らかにしている(一六条二八条三五条)。従つて法は常に当事者の自主的調整を予想し且つ期待し、これを法自体の調整の一環と認めているのである。(ハ)さらに制裁の点からいえば、労調法四二条によれば、使用者が、四〇条に違反した場合、四一条の制裁を科せられるのは、先ず労働委員会の請求があることを条件としている。労働委員会による調整がはじまつた後、使用者が一方に調整の手続に応じながら、他方四〇条に違反して労働者を解雇するようなことが多く生ずることは考えられない。もしそのような解雇が無遠慮に行われれば、その調整の進行中であるから、組合の代表者から直ちに労働委員会に申告され、使用者側は労働委員に対し、明白な責任を負わざるを得ないこととなるであろう。当事者間の自主的調整の場合においてこそ、使用者側に、四〇条に違反する危険があるのであつて、この場合に委員会が事情を調査し、処罰の請求をすべきや否やを決する実効が多いと見なければならない。従つてこの面からいつても、すでに自主的調整に入つたならば、四〇条の適用があると解するのを相当とする。

以上の理由により、四〇条の「この法律による労働争議の調整をなす場合」とは、当事者間の自主的調整をも含むと解するのであるが、本件においては、上告人より前述のような趣旨に於ける自主的調整に入つたという主張も疎明も認められないから、結論においては、多数意見と同じである。

裁判官藤田八郎の少数意見は次のとおりである。

上告代理人弁護士森長英三郎の上告理由第一点及び同青柳盛雄の上告理由第三点について。

旧労調法四〇条の「使用者はこの法律による労働争議の調整をなす場合において労働者がなした発言又は労働者が争議行為をなしたことを理由としてその労働者を解雇し、その他これに対し不利益な取扱をすることはできない」の「労働争議の調整をなす場合において」は「労働者がなした発言」にのみかかるのであつて「労働者が争議行為をなしたことを理由として」は、労働争議の調整を為す場合であると否とにかかわらず、その労働者を解雇することができない趣旨であると解する。けだし、同条は同法第五章「争議行為の制限禁止等」の章下における規定であつて、使用者が労働者の争議行為をなしたことを理由として、むやみに労働者を解雇する等の行為に出ること即ち使用者側の争議行為自体を禁止し若くは制限せんとする趣旨の規定であつて、多数意見のごとく、労働争議の調整の公正円滑を図る趣旨の規定と解すべきではないからである。右の解釈は同条の文理解釈上極めて自然であるのみならず、同条に対する英文は明らかに右解釈のごとく読了すべきであり、同法制定当時の状勢を顧れば、同条に対する英文の字句は、同条立法の趣旨を探究する上において重要な資料たるを失わないものである。(Art, 40 The Employer shall be disallowed to discharge or give discriminatory treatment to aworker for having performed acts of dispute or for the testimony he made at the proceeding of adjustment of labor disputs under this law, provided that this shall not apply when agreed to by the Labor Relations Committee. )

しかして、同法は昭和二一年九月まさに新しい憲法の公布を見んとするときに制定せられたものであつて、右憲法の趣旨に合するよう従来の労働組合法一一条の規定を改正して「労働組合ノ正当ナル行為ヲ為シタルコトノ故ヲ以テ其ノ労働者ヲ解雇シ其ノ他之ニ対シ不利益ナル取扱ヲ為スコトヲ得ズ」との条項を附加すると同時に本法四〇条の規定を設けて、苟くも労働者の争議行為を理由として解雇等の不利益処分をするには、一応労働関係についての第一次的行政機関である労働委員会の同意を求めるべきものとの趣旨において、同条本文並びに但書の規定を設けたものである。もとより正当なる争議行為を理由として労働者を解雇することはたとえ、同委員会の同意があつても違法たるは勿論であるが、争議行為の当、不当の判断は相当専門的考慮を要する困難な問題であり、また、たとえ不当の争議行為の場合であつてもこれに対して、直ちに、解雇等の制裁を以てのぞむことが果して相当であるや否やということも公正なる立場において判断するを要する事柄であるから、これらの判断を使用者側の専断に委ねることは妥当でないとの趣旨を以て、苟くも争議行為を理由として労働者を解雇するには一応必ず労働委員会の判断を経ることを必要としたのである。そうして、その必要はいわゆる調整に入つた場合であると否とを問うを要しないのである。同条を以上のように解するときは、同条は「公の機関によつて調整手続がなされている」場合を前提とするものであるとの多数意見のあやまりであることは明らかである。また、かりに調整を前提としても、多数意見のように、同条にいわゆる「この法律による労働争議の調整をなす場合」を単に「正規の斡旋、調停、仲裁等斡旋員又は労働委員会等の公の機関による調整」にのみ限定して、「この法律による労働争議の調整」から、特に同法二条等のいわゆる自主的調整の場合を除外する根拠は全くないものといわなければならない。

しかして、本件は同委員会の同意を経べき場合であるにかかわらず、これを経ないで労働者を解雇したのであるからその解雇は法律上無効と解すべきである。

上告代理人弁護士森長英三郎の上告理由第二点、同青柳盛雄の上告理由第一点について。

原判決は、全日本新聞労働組合朝日支部は、単一な同組合の一構成分子であるから、同組合が解散により消滅した以上、同組合朝日支部も亦法律上、同組合と運命を共にし解散により消滅すべきは当然であるとしこれを前提として被上告会社と右朝日支部との間に締結された団体協約(乙号)は、同組合の解散により当然失効したものとしている。

ここに、「朝日支部」の法律上の性質は何んであろうか。

支部を構成しているものは、被上告人株式会社朝日新聞に雇傭されている労働者の団体であることは、本件における各種の資料から十分に観取される。(原判決も支部をもつて、単なる機関とは見ず、支部を構成しているものは個人たる労働者とは別に、或種の団体であることを認めていることは、原判決が、同支部を以て、「組合の一構成分子」といい、同支部について「解散」という言葉を使つているところからも推測される。)この労働者の団体が独立して労働組合の組織を有つものであるかどうかは、原判決認定の事実からも、本件にあらわれた証拠上からも必ずしも明瞭ではない。しかしながら、上告人提出にかかる疏甲第一号証(同証記載にかかる乙号協約第一条に「会社は支部以外の労働組合を認めない」とあり、其他「支部規約」とか、「支部に加入」「支部から除名」「支部執行委員長」「支部員」等の記載がある)等から見て組合組織をもつて居たものであろうことは窺われなくはない(原判決もこの全日本新聞労働組合の傘下に組合組織を持つた労働者の参加していたことは「同組合では全国の新聞労働者の大同団結が困難であり、読売、毎日その他の組合が脱退しており……」と判示していることによつて暗示している)。かりに、この支部を構成する労働者の団体は、労働組合としての法的組織をもつていなかつたとしても、独立した労働団体として労働協約締結の能力をもつていたものではなかろうか。原判決はそのいわゆる乙号協約をもつて「控訴会社と同組合朝日支部との間に締結された団体協約(乙号)」と判示しているところからみても原判決自体この支部を構成する団体は独立した協約能力をもつていたものと考えているのではないか。その他、朝日支部が被上告会社との間に経営協議会を設け、或は支部として本件につき労働委員会に提訴する等独立の団体活動をしていることは本件の証拠上各所に散見するところである。してみれば、この朝日支部は、全日本新聞労働組合の組合員たる労働者によつて組織せられた一個の独立した労働団体であつて、全組合とは別個に協約能力をもち、この能力に基いていわゆる乙号なる団体協約を締結したものとみるべきではなかろうか。この団体は団体として全組合に加入しているものでないことは、全組合を単一組合なりとした原判決の認定からすれば当然ではあるが、しかし全組合が単一組合であるからといつて、全組合の組合員が別に独立した組合その他の団体を組織することは何ら妨げるところでなく、また、団体が全組合の支部たる関係に立つたからといつて、直ちに、その独立性を否定さるべきいわれはない。(全日本新聞労働組合((即ち本組合の支部件のいわゆる全組合))の一支部が、支部として訴訟における当事者能力を有することは、昭和二六年(ク)第一一四号事件について、当裁判所大法廷決定の肯定するところである。けだし、同事件において大法廷は、その事件についての同組合共同支部の当事者適格については、特に職権を以て調査の上、これを否定しながら、その当事者たる能力については一言もこれに触れるところはないからである。)とすれば、全組合が解散した場合、支部はその全組合に対する支部たる関係を失うことは勿論であるけれども、その支部を構成する団体が全組合の解散に伴つて法律上当然に解散するものと判断することはできない。況んや全組合が解散したからといつて当然に、支部が自己の協約能力に基いて締結した乙号協約までもその効力を失うということにはならない。(他に、全組合の締結したいわゆる甲号協約が失効したことが当然に乙号協約の失効を招来する事由があれば格別であるけれどもかかる事由は原判決によつて認定せられていない。)

要するに、原判決が朝日支部は全組合の一構成分子であるから全組合の解散と同時に解散すべきは法律上当然であるとしてこの前提の下に乙号協約の失効を判断したことは、早計乃至は独断ではないか。原審において、当事者がこの点について十分にその主張並びに疏明をつくしていないことは記録上明らかであるけれども、如上原判決の認定した個々の事実、若しくは記録にあらわれた証拠関係からみて朝日支部の労働団体としての独立性がうかがい得られる以上、原審としてはこの点を十分に釈明しその事実の存否を確定しなければならなかつたものであると思う、この点は、これによつて乙号協約が既に失効したかどうかの本件における重要な争点に関するものであるからである。

如上、原判決は、この点に関して、審理を尽さない違法があるから、原判決を破棄の上、本件を原裁判所に差戻すべきものと思料する。

(裁判官 田中耕太郎 霜山精一 井上登 栗山茂 真野毅 小谷勝重 島保 斎藤悠輔 藤田八郎 岩松三郎 河村又介 谷村唯一郎 小林俊三 本村善太郎)

上告代理人弁護士森長英三郎の上告理由

第一点

旧労働関係調整法(労調法と略称)第四十条の解釈について、原判決は、全く見当違いの解釈をして、上告人の請求をしりぞけた違法がある。

(1) 本条の立法趣旨は、立法関係者の言によれば、旧労働組合法は憲法改正前の法律であるために、争議行為を保護しているけれども、それを直接に法文に示したものは、第一条第二項と、第十二条があることはあるが、憲法第二十八条が争議権を認めたことから、さらに労働者の争議権を保護する必要が生じたので、憲法改正後にできた労調法のなかに、とくに争議行為を理由とする解雇その他の不利益な取扱いを禁ずる規定を設けるにいたつたということである。

争議行為の途中において、使用者が争議に参加する労働者の全員を解雇したり、その一部の解雇にしても労働組合における指導的地位にある者を解雇するときは、労資双方の力関係において、労働者の地位を不当に弱いものにすることは明かである。しかしながら、このような使用者の争議行為を許して、労働者の力を弱いものにするときは、極めて悪い労働条件で、低い地位にあつた、わが国の労働者の地位を向上することは期待できない。ことに過去の封建的な労資関係のために、労働者としての意識が一般的には徹底せず、その団結力が弱い場合に、なおさらのことである。本条本文後段は、このような意味で、使用者の争議行為を抑制し、憲法上の労働者の権利を実現するために定めたものである。従つて本条の解釈は、この立法の精神にもとずいてなされねばならない。

(2) 労調法第四十条本文の「使用者は、この法律による労働争議の調整をなす場合において労働者がなした発言又は労働者が争議行為をなしたことを理由として……」の読み方に関して二通りの解釈が行われておる。一つは、本法制定当時の立法者の解釈といわれるものであつて、「この法律による労働争議の調整をなす場合において労働者がなした発言」と「又は労働者が争議行為をなしたことを理由として」と、二つに分ける読み方である。この読み方によれば一般の争議において、争議行為を理由とする解雇は、すべて本条の適用をうけることになる。本代理人は直載簡明なこの読み方をとる。なお本法の英文の飜訳でもこのよみ方によつていることを注意してよい。他の読み方は、右の後段を前文にひつかけて、「この法律による労働争議の調整をなす場合において、労働者が争議行為をなしたことを理由として」と読むべきであるという。しかしこの読み方によるも、本法第二条、第三条、第四条、第五条、第十六条、第二十八条、第三十五条の諸規定からみて、斡旋員または労働委員会をわずらわさないところの争議も、当事者が自主的に労働関係の調整をなし、かつ解決するための争議であるから、「この法律による労働争議の調整をなす場合」にあたるものといわねばならぬ。従つて結果はいずれの読み方をとるも同じことである。また実際からみてもその争議が労働委員会にかかつているのと、そうでないのとを区別して、労働者の保護を区別することはおかしい。もしこの区別を許すならば、前掲の各条文が、当事者双方の自主的解決を要請していることとに矛盾することになる。従つて本件は本条本文後段の保護をうけるものである。

(3) 本条の「争議行為をなしたことを理由として」の「争議行為」は、いわゆる正当な争議行為にかぎるとなす少数の学説があるが、これはまちがつている。本条の争議行為は正当であると不当であるとを問わず、およそ争議行為を理由とする解雇または不利益な取扱いは、本条の保護をうけて禁ぜられると解する。その理由は、第一には、旧労働組合法では第一条第二項、第十一条、第十二条などで労働者の行為の上に「正当なる」という文句をつけているが、本条にはつけていない。また第二に、もし不当な争議行為をなしたものについては、労働委員会の同意をえないで解雇その他不利益な取扱いをなしうるとするならば、その争議行為の正当であるか、不当であるかの判断が、使用者の一方的な判断にまかせられるおそれがあることと、その不当の程度によつては、解雇の極刑を科さなくとも、けん責、減給などの軽い懲戒で十分であるにもかかわらず、使用者の一方的判断で解雇するおそれがあり、労働者の力を不当に弱くするからである(同説吉武恵市著労働関係調整法解説一〇八頁以下。末弘博士労働関係調整法解説一一五頁も同説と見てよかろう)。使用者の一方的判断により解雇その他の不利益をうけた労働者は、裁判所に訴えて、その不利益の救済を求める道があるではないかと、いわれるかも知れないが、労働争議においては、双方が互に実力で争い、はり合つているのである。その時使用者の一方的判断によつて解雇その他が行われるときは、労働者の地位はぐつと下がる。そして争議は労働者に、不当に不利益に解決することになる。この労働者に、不当に不利益に解決した争議は、のちに裁判所で、その不当解雇がとり消されたとしても、回復のしようがないのである。これでは、労働者の地位の向上は期待しえないことはいうまでもない。裁判所で救済をうればよいではないかとの議論は、争議は生きものであつて、刻々と情勢が変化していく実力の争いであることを故意に無視した議論であつて、とるに足らない。

さらに、争議行為が正当であるか、不当であるかの判断は全く困難な問題であるとともに、その判断の基準は、社会情勢の変動に応じて刻々と異動している性格のものである。このような困難な判断を使用者に一方的にさせることはゆるされない。また労調法第四十条の規定は、前述したように憲法第二十八条によつてあたえられた争議権を労働法に成文としておりこんだものであるから、それが使用者の一方的判断で、争議権を否定したり、肯定したりするようになつては、争議権の保障はありえない。以上の理由から本条の「争議行為」は正当であると不当であるとを問わないのである。

(4) それでは本条但書は、いかなる立法趣旨であるか、労働委員会は、労働争議の調整をなすことを職務とする。労働委員会は労働争議の調整の観点からみて、労働委員会が関与するにしろ、当事者が自主的に解決するにしろその同意が公平な争議の解決をはばみ、あるいはその後の労資の力関係に不当な変動を来さすと考えるときは、不当な争議行為を理由とする場合であつても、同意を拒否することができる。ただ不当な争議行為を理由とする場合であつて、その同意が争議の解決またはその後の労資の力関係に影響のない場合は、その同意をなしえよう。しかしいかなる場合でも正当な争議行為を理由とする場合には同意できない。このような場合に同意をするときは、労働者はその行政処分を訴訟によつて争うこともできよう。本条但書は、これだけの意味しかもつていない。従つて本条但書は労働委員会にたいして、争議行為の正当、不当の判定権をあたえたものではない。それは、ただ、その専門的職務とする労働争議の調整の観点から、その専門的知識、経験に信頼して、解雇その他の不利益取扱の適当であるか否かを判定させ、解雇その他の不利益取扱いを制限し、防止して、争議権を保護しようとしたものにしかすぎない。従つて、同意をえた解雇その他の不利益であるからといつて、その行為は有効となるものではなく、それが有効であるかどうかは、裁判所が判定することになる。この場合は労働組合法第十一条や団協などがその判定の基準となるであろう。

(5) 本条に違反した使用者にたいしては、本法第四十一条の刑罰の制裁があることはいうまでもないが、労働委員会の同意をえないで、解雇その他の不利益な取扱いをした場合の、私法上の効果については争いがあり、原判決は私法上の効果に関係ないという解釈をとつているようである。この点、学説をみると、末弘博士は、はつきり同意をえない場合は、その行為は私法上無効としており(前掲書一一七頁)。多くの学者もこれに同調しているようにみうけられる。また裁判例でも、本件第一審判決のほか、朝日新聞東京本社にかかる、東京地方裁判所の昭和二三年(ヨ)第二八九七号事件の判定、中華日報争議にかかる同裁判所の昭和二四年(ヨ)第八一六号事件の決定は、当然無効説によつている。

かつて経済統制法規などの違反行為について、その私法上の効果が争われたことがある。そして違反行為を私法上有効とみる説は、その論拠を、専ら取引の安全保護においたようである。すなはち、公序良俗違反の行為も、取引の安全というより大きな目的のために讓歩させたのである。従つて、私法上有効説をとる学者も、取引の安全を保護する必要のない場合、たとえば、契約の当事者双方が禁制品であることを知る場合などは、私法上も無効とすべしという説を唱えるものがあつたようである。終戦後この問題は、農地調整法第九条違反の土地取上の私法上の効果について問題となつた。すなわち昭和二十年法律第六四号の同法の改正では、土地取上について、第九条第三項の「予メ其ノ旨ヲ市町村農地委員会ニ通知スヘシ」を改めて、「市町村農地委員会ノ承認ヲ受クヘシ」とした。しかし、前述の取引の安全という特別の目的から生れた経済統制法規の解釈になれたものは、この場合も、承認をうけない土地取上は、刑罰の制裁をうけけるにとどまり、その私法上の効果には影響ないと誤つて解決するものがあらわれた。しかし、農地のようなものについては取引の安全を考える必要は少ない。また右のような誤解があつては農地調整法の目的を達することができない。そこで、昭和二十一年法律第四二号による改正では、新たに「前項ノ承認ヲ受ケズシテ為シタル行為ハ其ノ効力ヲ生ゼズ」との第四項を挿入した。この第四項の規定は、前述したところからみて、誤解を防ぐ注意的な規定とみなければならない。

そこで労調法第四十条であるが、労働関係については取引の安全を顧慮する必要は少しもない。このことは、農地調整法におけるよりも一層強くいえることである。そして農地調整法が「耕作者の地位の安定及農業生産力の維持増進を図る」(第一条)ことを終局の目的とするにたいして、労調法は「産業の平和を維持し、もつて経済の興隆に寄与する」(第一条)こと、「団結権ノ保障及団体交渉権ノ保護助成ニ依リ労働者ノ地位ノ向上ヲ図ル」(労働組合法第一条第一項)ことを目的としている。そしてこの労調法の目的は、憲法第二十八条を実現するための規定であることはいうまでもない。従つて不法土地取上げが右の目的から民法第九十条の公序良俗に違反するならば、さらに一層強い理由をもつて、労調法第四十条違反の私法行為は、右の目的から公序良俗に違反して無効な行為といわねばならない。このように考えて行くときは、労調法第四十条は私法上についても、その効力の発生を制限するものといわねばならない。すなわち、労調法第四十条に違反してなされた解雇その他の不利益な取扱いは、私法上無効である。原判決はこの点において法律の重大な誤解があり、この誤解にもとずいて、上告人の請求をしりぞけている違法がある。

あるいは、法律の有効、無効が労働委員会のような行政機関によつて左右されることはおかしいという人もあるかも知れないが、労調法第四十条は、解雇などをするに際して、まず労働委員会の同意をえて解雇の意思表示をせよといつているのであつて、法律行為を有効にしたり、無効にしたりするものではない。また労調法第四十条は、法律で争議行為を理由とする解雇を禁じているのである。ただ同条但書で、いかなる場合も使用者が解雇できないようでは、使用者に酷であるから、例外として同意をえて解雇することができる道を開いたにしかすぎない。従つて、但書を原則であるかのように誤解してはならない。さらに労働委員会が同意を拒否した場合は、使用者は行政訴訟の道があるが、同意もせず、拒否もせず放置した場合に使用者を救済する道がないことを憂うるものがあるが、労働委員会が同意もせず、拒否もせずおる場合は、多くの場合、その争議の自主的解決を期待しているのであり、労働争議の調整上そのように取りあつかうことが、最も適当と考えて、そのような態度をとつているのであるから、争議調整という高い目的のために、使用者はがまんしなければならないものである。

(6) 以上の本代理人の主張は、労調法第四十条が憲法第二十八条を実現するための規定であることから、当然にでてくる結論であつて、これに反する解釈は憲法違反の解釈であり、原判決は違憲の判決である。

第二点

原判決は日本新聞通信放送労働組合(前組合)ならびにその朝日支部と被上告人間の団体協約は前組合が全日本新聞労働組合(新組合)に発展解消した以上は、甲号乙号ともに失効しているとして、本件の解雇を正当だと判断した違法がある。

(1) 前組合と新組合は、解散、新設の形式をふんでいるけれども、原判決摘示の事実をみても、前組合と新組合は、実体をおなじくするものであり、ただ組合加入者の出入りが多かつたというにすぎず、解散、新設の形式をふみ、名称を変更しているとしても、着物をきかえたようなものにすぎない。また前組合と新組合がかりに思想または闘争方針の相違があるとしても、それは人の思想が変化しても、その法律上の人格に相違がないのと同じで、問題ではない。それにもかかわらず、原判決は、前組合と新組合は、法律上別個の人格とみて、前組合の解散により、当然前組合と被上告人間の団協は失効したと判断したのは違法である。思うに、原判決は、あるいは、労働組合の人格についても、市民法上の法人または法人類似のものと、同一の要件を必要とするものと考えているかもしれない。しかし、市民法上の法人にたいして厳格な要件を要求するのは、それが商品取引のための団体であるから、第三者に損害を加えることを恐れたのである。しかるに労働組合は、商品取引の団体ではなくして、使用者と労働条件について交渉することを主たる目的とする団体である。従つて労働組合が解散し、新設し、または組合員の出入があつたからといつて、その中心となる構成員に変更のないかぎりは、その実体を同じくするものであり、交渉団体としては法律上同一人格を有するものといわねばならない。もし組合の解散、新設により自由に団体協約が失効できるものであるならば、労働組合は昨日まで加入していた全日本新聞労働組合を脱退して、今日は単独組合となり、さらに単独組合の団協を破毀するために、まもなく全日本新聞労働組合に加入するということもありえて、これでは、到底団体協約が期待する産業平和を実現しえないであろう。常に会社側の有利に現行団協を破毀するばあいばかりと考えてはならない。会社側の不利に破毀されるばあいを考えておかねばならない。

(2) 団協甲号がかりに失効しているとしても、乙号は存続しているものとみなければならない。朝日支部は前組合のばあいも、新組合のばあいも、その実体には変更なく、同一の構成員からなつている。原判決は、「支部は単一な組合の一構成分子であるから前組合が右認定のように解散により消滅した以上、同組合朝日支部も亦法律上前組合と運命を共にし解散により消滅」するといつて第一審判決を踏襲して、簡単に支部の消滅を認定し、判断している。

しかし、本件記録の全体を通じて明かなように、朝日支部は、団協について交渉し、労働委員会に支部として提訴するなど、独立として、被上告人と団体交渉をする権利をもつている。なお原審裁判所は釈明権の行使により明かにすることを怠る違法の審理をしているが、朝日支部は前組合、新組合とは別個に労働組合法にもとずく届出を労政事務所にたいしてなしている点をみると、前組合とは別個に団協を締結することのできる主体であり、この点から団協乙号は締結されたとみなければならぬ。しかし支部の団協締結権は、親組合の委任した範囲をこえてはならないので、乙号団協は、甲号に基いてといつたのである。そして一たん親組合の委任により支部がその特殊事情にもとずいてつくつた団協は、甲号とその運命をともにするものではない。さらに支部は前組合が新組合にうつるにあたつても、規約も変更せず、役員もそのままであり、支部組合費もそのまま引きついでとり、労政事務所へは名称変更の届出をしているのであるが、これらの事実は前組合時代と新組合時代とで、少くとも支部に関する限り同一人格とみなければならないのに、原審では、これらの点につき釈明することなく、簡単に支部は本部と運命をともにし、従つて団協乙号も失効すると判断している違法がある。

要するに本部と支部との関係は、本部も労働組合法上の労働組合であるとともに、支部も労働組合法上の労働組合であり、支部構成員は、単一本部の組合員であるとともに支部の組合員であることが明かであるにもかかわらず、原審では、この事実を故意に聞かず、支部の人格を否定する判断をしているのである。

右の如くであるから、少くとも本件の団協乙号は、いまなお有効に存続しているものであり、本件解雇は乙号第三条に違反する解雇であるとともに、乙号覚書三も現に効力をもつものである。

第三点

かりに前組合の解散により団協が失効しているとしても、団協の規範的部分はいわゆる予後効としてのこつており、その職場の労働条件を支配するのである。この主張は、甲第二十号証の孫田博士の著書を提出することにより、上告人が主張したところである。またかりに主張がなくても、団体協約は単なる契約ではなくて、職場の規範であり法たる性格をもつから裁判所が職権で釈明権を行使して調査すべき事項である。

予後効については、甲第二十号証を引用するに止める。そこで団協乙号第三条は規範的部分であるかというに、解雇は労働条件中の最も重要なものであるから、規範的部分といわねばならない。通常規範的部分は、労働条件に関する部分であるといわれる。債務的部分が団協中、個々の労働者に直接に関係しない部分であるにたいして、規範的部分は、団協中個々の労働者に直接に関係する部分であつて、賃金、労働時間、解雇の方法などがこれに属する。これを旧労働組合法についていえば、第二十二条の協約の規範的効力に関する部分、すなわち「労働条件其ノ他ノ労働者ノ待遇ニ関スル部分」であつて、解雇の方法も明かにこのなかに入るといわねばならない。基準法第一条ないし第三条の労働条件の意義についても、解雇を含むと解すべきである。基準法が第十九条以下に解雇について規定していることからもこのことは明かにいえる。原判決はかりに団協が甲乙とも失効しているとしても、団協乙号第三条が予後効としてのこつており、組合の承認をえないで上告人らを解雇しえないにもかかわらず解雇したことについての判断を欠いでいる。

第四点

原判決は、本件の争議行為が違法でないにもかかわらず違法と判断した違法がある。

(1) 団協乙号覚書三によれば、原判決摘示の通り、「会社は正当な争議中の支部員の部署を他の如何なる者を以つても代置することが出来ない。また正当な争議中支部員の社屋出入を制限または阻止することも出来ない。」とある。当時少くとも団協乙号は有効に存続していたから、会社が部課長などを印刷局の業務につかせようとしたことは、団協違反であり、組合がその就業を排除しようとすることは正当な行為である。

(2) かりに団協乙号が失効しているとしても、労働者は、その存続を主張し、その存在を信念としていたこと、団協が存在するかどうかについて当事者間に争われていたことは、原判決が摘示するところによつても明かである。このような場合に、客観的に、あるいは法律的に、その団協が存在していなかつたとしても、団協が存在しているものと信じて、その団協によつて行われた行為は、正当である。団協は当事者の協定によつて成立する。しかし成立した団協は、その職場の規範であり、法である。その法が存在するものと信じてなした行為は正当であり、少くとも、解雇に価するほどに不当な行為ではない。

(3) ストライキにおいて、労働者が職場を占拠する行為は違法なものであろうか。資本家がわによつて、しばしば、労働者はストライキにおいては、労務の提供を拒否し、労働の真価を使用者に知らしむるにあり、それ以上にでてはならないということがいわれるが、このような一般論がわが国において妥当だとすると、わが国のストライキで合法なものは、一つものこらないであろう。それほどわが国のストライキの現状は職場占拠によつて行われている。この理由を考えるに、わが国の現状においては、労働者の団結権が承認せられてからまだ日が浅いので、それまでは使用者にたいして頭を下げることだけしか知らなかつた労働者であるから、労働者の意識水準は、一部のものをのぞいては、はなはだ低い。そこでこのような労働者が工場のそとにでるときは、機械のそばをはなれたさびしさに堪えないし、その団結力を維持しえない。工場からでた労働者はたやすく資本家の買収に応じて第二組合をつくり、その分裂策にのる。多数決原理によつて組合を運営することになれない民主主義的精神にかけた労働者は、おのれ一人がよい子になろうとして、右のようなおくれた労働者をかり集めて、争議団を破壊し、使用者の御用をつとめる。さらに工場のそとにでた労働者は、今日の家屋事情では、争議団本部さえおくことができず、今日はA所、あすはB所と、ジブシーのように毎日会合の場所もかえなくてはならぬことも多かろうから、このような状態では、その団結の維持はますます困難になる。他方失業者は洪水のようにでてくる可能性が多く、これらの失業者も、労働者としての意識が低いために、かつ現実の生活の苦しさから、罷業労働者を裏切つて、スト破りの就業をしようとする。職業安定法第二十条は、スト破りの職業紹介を禁じているが、失業者洪水時代には、はり紙一つで就業者は集まるであろう。工場の門でこれらのスト破り労働者と罷業労働者との好ましくない摩擦もおこり勝ちとなり、社会の平安は維持しえなくなろう。

このような団結力の維持、社会の平安という点から、わが国の現状において、職場占拠のストライキは正当なものとして是認しなければならないのである。もし職場占拠のストライキが否認されるならば、使用者の地位は労働者の地位に比して著しく高いものとなり、労資対等の原則を破り、労働者の地位の向上は期待しえない。憲法第二十八条があたえた争議権は、労働者はこれを行使するに由なく、空文となつてしまう。

(4) あるいは労働者の職場占拠は、正当なものであるとしても、ストライキ中、使用者が業務を行うことを妨害することは違法であるというかも知れない。しかしながら、わが国の労働者の低い地位の現状からみて、使用者のスト破りを誘発する行為は否定的に考えなければならない。資本家がわの者は、しばしば、憲法は財産権と争議権を対等に保護しているといわれる。しかし、争議行為はいかなるものであつても、財産権を侵害する。すなわち、憲法第二十九条は、すでに争議権によつて制約されることを予定しているのである。ただいかなる限度の制約をうけているかについては異論があるかも知れないが、労働者の生存権を保障し、その地位を向上するに必要な限度で制約をうけているとみなければならない。スト破りはこの制約をうけて否定されるのである。

(5) 本件は非組合員によるスト破りの業務を妨害したものでもない。会社側の原審証人米山保の証言によるも、スクラムを組んで、ワツショワツショとやつたにすぎない。ただ毛利広が米山の腕をとらえてスクラム外に出そうとした事実があるが、そのとき米山は業務をしていたのではない。また米山の傷も暴行によつて受けたものではなく、大組台につかまつたためにけがしたものにしかすぎない。それもほんのかすりきずである。米山は大組台が倒れぬように押えていたというが大組台が百貫以上もあるもので押えなくても倒れないものである。

被上告人はしきりに業務妨害をいうが、二、三の非組合員によつて、短時間にし上げねばならぬ新聞社の活版部の仕事ができうるものでないことは顕著な事実であるにもかかわらず、原判決は故意に、これにふれようとしない。

なお原判決後、東京本社については、昭和二十四年四月十四日の東京都労委の決議により、労調法第四十条違反により起訴請求がなされ、大阪本社については、同年六月八日、大阪地労委により同様起訴請求が決議され、西部本社の本件についても、福岡地労委によつてすでに同様の結論が出され、近く起訴請求の決議がなされようとしている。このような不当労働行為をあえてする被上告人であるから、被上告人の労働組合にたいする平常からの態度はあきらかである。そのような労働組合にたいして無理解であることが、労働者を挑発し、労働者もうかつにその挑発にのることも考えねばならないことである。

(6) 原判決は違法行為の理由として、新聞発送のおくれたことと、新聞紙のもつ重大使命をあげているが、新聞の発送のおくれたことは、ストライキから当然に出てくることで、使用者に損害をあたえないストライキはありえない。また使用者がストライキにより損害をうけたからといつて、労働者に不服をいうことはできない(旧労働組合法第十二条)。つぎに新聞紙のもつ重大使命の意味はわかるが、それだからといつて、新聞事業の労働者はストライキ権をもたないのではない。新聞紙が重大な使命をもつならば、それだけに経営者は労働条件の向上に努め、かつ労働組合に深い理解を示さなければならないのである。このいずれかを欠けるときは、いかに新聞紙が重大な使命をもつていても、ストライキをされてもやむをえないことである。

(7) 以上のべたところからみても、本件の争議行為は正当な行為である。少なくとも労働組合法第一条第二項によりその違法性を阻却されるものである。そして少くとも上告人らの行為は極刑である解雇の事由とするには足らない。それを解雇することを正当とする原判決の判断は、憲法第二十八条を無視する暴論として、破毀されなければならない。

第五点

(1) 本件の解雇は就業規則にもとずいて行われている。この就業規則にたいして労働者は基準法第九十条による意見をいつていない(甲第四号証の二)また労働者の意見を求めた就業規則と同一であるか否かが少しも証明されていない。そして原判決はこの点について争いがあるにもかかわらず、勝手に、労働者の意見を求めたものと同一だと独断して、その効力を肯定している。

さらにこの就業規則は労働基準法による届出はしているが、基準法第百六条の「各作業場の見易い場所に掲示し、又は備え付ける方法によつて、労働者に周知させ」ていない、この主張に法廷にでた「就業規則で解雇することの不合理ならびに違法性についての陳述書」にでていて、上告人はこれを争つているにもかかわらず、原審はこの点について違法にも釈明権を行使して事実を明かにすることなく、また、判決で判断していない。被上告人会社の就業規則は、東京、大阪、西部各本社ともこの周知義務を怠つていたので、東京本社の仮処分事件で問題となり出し、被上告人会社は慌てて多数印刷して配布し、労働者は自分の会社の就業規則が何であつたかを初めて知つたのである。

就業規則が前記のようなものであり基準法第百六条第一項の方法により周知義務をつくされていない場合に、労働者は就業規則があるのか、ないのか、あるとすればその内容の何たるかを知るに由ないから、労働者はこれを遵守することもできない。従つてこのような就業規則は形式的に届出があり、使用者が罰則の制裁をのがれるとしても、実質的には法として労働者を拘束する効力をもたない。従つてこれによる解雇は不当である。

(2) 就業規則は基準法の細則であるから、それは労働関係の平和時の規定であり、これを争議行為に適用することはできない。争議行為を理由とする解雇に就業規則を適用することは、違法であるにもかかわらず、原判決はこの点を何ら顧慮していない違法がある。

第六点

本件について、かりに就業規則を適用して解雇するについても、極刑たる解雇の制裁は不当であり、就業規則の誤つた適用である。就業規則は基準法の細則の如きもので法規たる性格をもつから裁判所は、当事者の主張がなくとも、この点の判断をしなければならないものである。

上告代理人弁護士青柳盛雄の上告理由

第一点 原審は労働協約関係の消滅に関する法律解釈を誤つた違法がある。

原審は労働協約の当事者の一方たる労働組合に組織変更が行われ法律の解釈としては前の組合と後の組合とは同一性のない別個のものと認められる場合は、たとえ新組合において前組合の権利義務を承継する旨の決議がなされたとしても、右協約の当事者の他方たる使用者が協約の効力の承継を承認しないかぎり、右協約関係が新しい組合と右使用者との間に引継がれ効力を保有するものとは解釈できないという前提のもとに、本件事案に法律を適用し上告人の主張を排斥した。しかしながら、労働協約のような継続的法律関係においてはその当事者の一方または双方に組織変更または営業の讓渡等による変動の頻発することは実験則上われわれの当然予想しうるところであるから、原審のように当事者の他方の承認のないかぎりつねに協約関係はその一方の承継者との間に承継されえないと断定することは早計であつて、むしろ労資間に協約関係の存在することを以て労働法の基本的な要請と見ることが正しいとするならば、これと反対に何んらか特別の除外事由のないかぎり労働協約関係はその承継人との間に承継されて存続するものと解釈する方が妥当と思われる。

原審が「終戦後我国の労働運動は急速に進展強化され企業者側は一時劣勢の状態にあつたことは公知の事実であるからこの時期に締結された労働協約につき企業者側がその改訂を主張するのは敢て理由のないことではない。現在の段階においては此の事情も右後段の場合につき斟酌せらるべきである」。と書いているのはかかる事情のもとにおいては一般的に協約当事者たる使用者側が協約の効力の承継を承認しないと推定するのが相当であるという意味の事実認定上の原則を主張しようとするのか、それとも当事者の一方はみだりに承継の承認を拒否すべきでなく正当の事由あるばあいにかぎり拒否しうるにすぎない、換言すれば拒否権の濫用と見うるばあいは明白な拒否にもかかわらず承継ありと認むべきであるという前提を承認した上で、判示のごとき事情を斟酌すれば被上告人の拒否は正当であると主張しようとするための論述であるか、それともこれらとは全然別のことを言おうとしているのか不明瞭であるが、原判決が「又控訴会社において新組合に対し前記のような承認を与えた事実のないことも右末永証人の証言により明かである。」とだけ書いているにすぎず、被上告人が承認を与えないことが正当であつたかどうかの価値判断をしていないところを見ると、原審は労働協約関係の承継は全く当事者の自由なる意思に任されており、労働法は全然この点につき社会立法として何んらの強行法的要請をもつていないと解釈しているもののようである。しかし「建物保護ニ関スル法律」第一条第一項、借家法第一条第一項、農地調整法第八条第一項等の規定が当事者の意思如何にかかわらず契約関係が承継することを定めているところのその社会法的精神は労働法の分野においても認められていいし、特に労働協約関係の承継については当事者の意思如何にかかわりなく、一定の条件のもとに、これを認むべきものと考える。けだし労働協約関係の存在することは前にも触れた通り労働法の一般的要請と解すべく、われわれは、協約関係の破棄につき当事者双方の明白な合意のないばあいはもちろん、その事実関係の不明瞭のばあいもまた成るべく存続的に解釈するのを妥当とするし、また同様の理由から本件のような協約当事者の一方に変動のあつたばあいにおいてもその変動が権利義務の包括的承継を伴うものであるときは、相手方の同意をまたずして協約関係は新当事者間に引継がれると解釈すべきものと信じる。

このことは労働協約の当事者たる使用者が個人であつて同人が死亡し相続開始したばあいにおける承継に関する民法の法理、また使用者が会社であつて同会社が解散し新会社に合併したばあいにおける承継に関する商法の法理は、労働法規が労働協約関係の承継につき特別の規定を設けておらず、且つ明文はなくとも条理上これを排除しなれけばならない理由がない以上、当然労働協約関係の包括承継に適用される点を見ても明かだし、営業の譲渡が行われたばあいについても原則として協約関係は引継がれると見るべきである。しかるに一度労働組合側に組織変更が起ると使用者側が同意しないかぎり、いかに新旧両組合の間で引継の申合せをしても協約関係は承継しないというのは不公平である。労働協約は当事者間の労働関係に一定の安定を齎すものであつて、その当事者の一方に変動があつて協約関係をそのまま引継がせても相手方に特別の不利益を招来することはありえない。むしろ当事者の変動によつて無協約状態が現出することの方が相手方に不測の損害を被らしめるおそれがある。すなわち相手方保護の見地からも相手方の同意を協約関係承継の条件としなければならない何んらの合理的根拠もないわけである。

次に労働協約締結当時における労資間の勢力関係を反映した内容をもつものであるから、年月の経過に従いこの勢力関係に変動を生じ、従つて当事者の一方または双方がこれに不満を感じるようになり改変を欲するに至ることは事実であるが、このことから労働協約はできるだけ不安定なものとし、些細な原因で忽ち解消するものとするのが労働法の要請だと解釈することは誤りであつて、労資間はつねに紛争をはらんで対立しているのが実情であるから、その間を調節する労働協約は安定性をもつたものとして存続性を強固ならしめるように解釈するのが法の要請といわなければならない。しかるに原判決は前述のように被上告人側でこれが改訂を主張するのは理由があり、このことは承継の問題について斟酌されなければならないといつて、あたかも当事者の一方が改訂を欲しているならば、当事者の変動は協約関係を解消するに最もいい機会であるから、これを大いに利用して無協約状態を現出させるべきだということを勧奨している。

かくのごとき法の解釈が労働法規を正解したものとは絶対にいえない。

第二点 原判決は同盟罷業に必ず附随する見張を以て、正当な争議行為の範囲を逸脱したものとした違法がある。

原判決は「前記団体協約がその効力を有しない以上控訴会社が組合員の罷業により業務の正常な運行を阻害されることを虞れ、新聞の持つ使命の重大性に鑑み新聞発刊の決意をなし、非組合員である職員によつて操業することとし職員を必要な部署に就かせるということは組合の争議行為に対する対抗手段として正当なものであるから組合員においては、他に正当事由のない限りこれを阻止することができないのである。」と書いている。被上告人側の人々の行動として原審が確定した事実はまさにいわゆるストライキ破りであつて、ストライキの威力を事実上減殺ないし無効ならしめる可能性を持つている行為である。だからストライキという争議手段によつてその目的を貫徹しようとする労働者にとつてかかるスト破り行為は好ましくない存在であることはもちろんである。そこで労働法がこれを不正と見るかどうかが問題になるが、資本主義制度のもとにおける労働法は、いわゆる労資対等の原則なるものがこの点においても適用されるとの見地から、使用者側によつて行われる平和的なストライキ破り行為は、争議当事者間に特約のないかぎり、これを不法とは見ないもののようである。すなわち争議労働者の側においてかかる行為を目して正当防衛における「不正の侵害」または緊急避難における「現在の危難」と解し、正当防衛または緊急避難として違法性を阻却されないかぎり刑事上または民事上の責任を免がれえないような行為を以てこれに対抗することは法律上許されないと見られている。しかしこのことは原判決のいうように使用者側のスト破り行為は「正当なものであるから、組合員において、他に正当事由のない限りこれを阻止することができない」というような結論を導きだすことができるということを意味しない。

反対にストライキが正当業務行為として刑法第三十五条の適用を受けることの当然の結果として、その効果を確保するに必要な行為の自由は使用者のスト破り行為の自由と同等に広く且つ無制限に保障されている、換言すればスト破り行為を阻止する自由はこれを敢行しようとする使用者側の自由と対等の形において法律上許されている、労働争議が当事者の実力闘争であることの当然の帰結として一方のみが正当でこれに対抗する他方が不正ということはありえないのである。

さて、そこで本件で問題になつている上告人側の対抗手段が違法であるかどうかの点であるが、原審は、(1)上告人側の労働者約三十名が、被上告人側スト破り担当者三名がスト破り行動に移ろうとした午後八時二十五分から、これを断念した午後八時四十分までの間約十数分間前記担当者三名をスクラムを組んで取囲み円周運動をし、またその間右担当者中一名が左手小指に治療五日を要する負傷をし、かかる対抗手段の中止要求に口返答をし、右スト破り担当者をして「かかる喧噪裡において重要な版組作業を継続することは到底不可能であると断念せしめて引揚げるのやむなきに至らしめた」ということ及び(2)その結果被上告人側に莫大な損害を被らせたという事実を認定し、更に加うるに「新聞紙の持つ重大使命に鑑みて」上告人等の行為は「争議行為として正当な限界を逸脱した違法なものであると断定せざるを得ない。」とした。しかしスト破りに対抗するために労働者が見張をすることはストライキに当然附随して採用される手段であつて、ストライキが合法的である以上見張もまた何んら違法とされないこと当然であるが、本件行為はまさにその見張りに該当するものである。見張の具体的な内容はアメリカの慣例に従うべくその合法性の限界もまたアメリカの判例を標準とすべしとする何んらの合理的根拠のないわが国の労働争議における見張の概念はその合法性を容認する日本労働法の要請に従つて自主的に且つ合理的に解釈すべきである。

敗戦後わが国の労働者階級は労働組合活動の自由を与えられたとはいえ、その獲得した労働条件はいわゆる飢餓賃金以下であつて労働力の再生産に必要な最低限界に達せず、労働者は文字通り骨身を削つて労働力の縮少再生産を行つている状態であるから争議資金等を蓄積する余裕のないこと当然であつて、従つてストライキ等を敢行するに当つても最も短時間の間に使用者側に決定的打撃を与え、その要求を獲得しようと努めなければならない実情である(これは公知の事実である)。故にストライキを成功的に遂行するためには使用者側のスト破り行為を防止することが最重要な課題とされなければならない。わが国の労働法が名実共に労働者に争議権を保障するかぎり、労働者は先ず職場に踏み止まり争議破り分子の潜入を防止するため万全の策を講ずる自由が認められなければならないし、その防衛手段として労働者が互にスクラムを組み団結の威力を物理的な形態において表現することによつて、スト破り分子をしてその圧力に屈しスキヤツプ行為を断念せしめることが合法として容認されなければならない。

もしこの程度の実力行動が容認されず、使用者側は何んらの抵抗も受けることなく自由にスト破り行為が行い得べきものとしたら、労働者のストライキ権はもはや権利たる力を喪失し、争議において労働者はつねに惨敗し、依然として飢餓賃金と植民地的労働条件に甘んじていなければならぬ結果となるであろう。次にストライキの結果使用者において損害を被ることは当然であつて、その発生を最少限度に止めようとする使用者側の努力が労働者によつて妨げられたとしても、これを理由として労働者側の防止行為を違法視することはできないし、また新聞のもつ重大使命なるものもスト破り防止行為を違法ならしめる契機とすることはできない。これを要するに原審は当然合法視しなければならない見張行為を違法な争議行為と解釈する前提に立つて本件事案を律し、憲法第二十八条に違反する誤判を犯したものである。

第三点 原審は労働関係調整法第四十条の解釈を誤り、惹いて憲法第二十八条に違反する判決を行つた違法がある。

原判決は「同条は労働者の争議行為に対抗するためになされるであろうところの、使用者の行為に制限を加えることを目的として制定され、使用者に対し労働委員会の同意を得ずして労働者に対する不利益な処遇をすることを禁止した規定で」あるといい同条が強行法規の性質をもつている以上、この禁止に背いて為された使用者側の行為にして法律行為たる性質をもつているものは明かに公の秩序または善良の風俗に反し、法律上その効力なきものであることを承認しなければならない立場にあるにもかかわらず、つづいて「その労働委員会の同意なるものは該禁止を解除する効果を有するのみであつて当該行為の有効無効、すなわち司法的価値判断を決定する効果を有するものではないことは、同条が行政法規たる本質上極めて明白であるといわなければならない。」という理くつを述べている。

しかし、この理くつのうち労働委員会の同意があつてもその同意は使用者の当該行為を私法上つねに有効ならしめる効果を有するものでないという点は正当であるがその逆は必ずしも真ならず、すなわち労働委員会の同意なしに行つた使用者の行為の私法上の効力は、その同意の有無とは無関係に司法的価値判断の対象となるという命題を立てようとするならば、それは絶対に誤りである。けだし労働委員会の同意なき行為は強行法規である同条が明かに禁止しているのであるから、その同意がないという事実は当該行為の法律的価値判断にとつて欠くことのできない決定的要素でなければならないからである。しかるに原判決は「当該行為の効力については裁判長が実体的に最終的判断をなし得」るということ(このことにたいしてはわれわれも何んら異議をさしはさまない。)からその「最終的判断」は「労働委員会の同意を得なかつたという禁止規定違反の責任問題とは別個に」なされてよいし「労働委員会の同意の有無は問題とするを要しない」という結論をだしてしまつた。何んと驚くべき論理の飛躍であることか、かくのごとき判断を敢てするのは実に怖るべき思惟の怠慢かまたは意識的な詭弁といわれても弁明の余地がないであろう。かかる議論に較べれば、被上告人側の主張たる同条は、正当ならざる争議行為を除外する趣旨であるという議論の方がむしろ筋が通つているともいえる。しかし念のため被上告人側のかかる論旨にたいしても一応反駁しておく必要を感じる。けだしもし被上告人の右論旨にして正当なりとせば、上告人側の本件行為を以て違法なる争議行為なりと判定した原審判決は前示のような非論理にもかかわらず、結論においては正しいということになるおそれがあるからである。被上告人側の主張と認められるものは、要するに憲法も労働法規も正当なる争議行為を保護しているにすぎないから、正当でない争議行為が労働関係調整法第四十条によつて保護されるということは法律解釈上許されない、故に正当ならざる争議行為にたいしては使用者は労働委員会の同意をうることなく、対抗手段としての解雇その他の不利益処遇を行いうると解釈するのが正しいと主張するもののようである。しかしこの議論は同条が憲法第二十八条の基本的人権を具体的に保障するための規定であり、労働委員会の同意をえなければならないという形で使用者の自由に制約を加えた趣旨を正解していないといわなければならない。すなわち同条は違法な争議行為を保護することを目的とした規定でないことは所論の通りであるが、このことから直ちに労働委員会は違法の争議行為に対する使用者側の処分にたいし同意を与えないばあいが多いとか、従つて使用者は後は万事裁判所の判断に委ねるという意味で労働委員会の同意を得るための面倒臭い手続を省き直ちに処分を敢行しても、それが後に違法な争議行為に対する処分であると判定されるかぎり、労働委員会の同意を得なかつたという瑕疵は補正され、その処分は合法的であり刑事上も民事上も何んらの責任を負う必要がないし、その法律的効力にも消長を来たさないとかというような結論を導きだすのは誤りである。もしこれが正しいとするならば使用者側は長ければ数年を要するような裁判手続によつてその刑事的または民事的責任を追及されることを覚悟の上で、先ずいち早く労働者にたいし攻撃を加え甚しく有利な地位を確保することができるに反し、労働者はこの攻撃の前には労働委員会によつて擁護されることもなく全く法律手続上は無防護の地位に曝らされているという不合理な結果を招来するであろう。同条はかかる不合理を予防する目的で労働委員会の権威と公正に信頼し使用者側の横暴防止を委ねたのである。もし労働委員会がこの信頼を裏切るようなことがあつたとしてもこれにたいする是正の途は司法的に存在しないわけではないのだから、決して不当に労働者側を強力にし労資対等の原則なるものを破る結果とはならない。

これを要するに、たとえ将来裁判所の判断によつて違法な争議行為であると判定されることの確実な行為にたいする処分であつても必ず予め労働委員会の同意をまつて行うべきものとするのが同条の趣旨であつて、これにたいしては少しの除外例をも認める余地がないのである。かく解釈しないかぎり同条を設けた趣旨の大半は没却され、労働者の基本的人権保障も単に憲法という紙の上に書いた形式だけのものになつてしまうであろう。そしてかかる制約を無規した処分行為にして法律行為たる性質をもつものの効力については前述の通り強行法規違反としてこれを消極に解釈しなければ、これまた労働者の地位の保護に欠くる結果となる。すなわち刑事責任の問題と民事上の取扱とは区別し、労働委員会の同意なき行為は刑事上の責任を免がれえないが、その法律行為としての効力はこれと切り離して判断すべきであるという解釈をとるならば、前述のように使用者側は違法な争議行為であるからという口実を設け、この解釈を濫用して専断的処分を強行し労働者を甚しく不利益の地位に陥れることを黙認することとなつて不合理である。なお、刑事上の責任を免がれえない行為を法律行為として有効と認めることは法律体系の一貫性からいうならば明かに一種の重大な例外であつて、取引の安全等特に一貫性を犠牲にしても善意の第三者の利益を保護する必要があるばあいにかぎるべきであるが、同条の適用について特にかかる特殊事情を考慮する余地は殆んど絶無であるからかかる分裂的解釈を容れる余地も存在しないことに注意する必要がある。

第四点 以上を要するに、本件は被上告人側において上告人側組合にたいし終始挑戦的態度を以て争議行為を敢行してきた事案であつて、労働協約の否認、スト破りの強行、懲戒解雇の断行と失つぎ早やに打つてきた被上告人側の攻勢はすべて一連の組織的、計画的な争議手段に外ならないのである。すなわち被上告人側では上告人との間に締結されなお有効に存続していた労働協約が経営権、人事権、争議権等々の諸事項において甚しく被上告人に不利なることを快とせず何んとかしてこれを破棄しようと欲していたところ、偶々上告人側労働組合に組織変更―労働戦線の統一を目標とした新聞関係労働組合の大同団結の行われるという事実―があつたので、奇貨措くべしとばかりに右労働協約の失効を宣言し、無協約状態を前提とする諸措置を上告人側に一方的に押しつけ、経済的には十二分に容認することの可能な上告人側の賃金要求を故意に拒絶してストライキを挑発し、しかも上告人側において敢然ストライキに突入するや現実問題として被上告人側の僅少にして未経験なる職員のみにては到底操業を継続しえないことを知悉しながら専ら上告人側組合員の団結を破り、その闘争心を鈍らせる目的を以て厭やがらせのためのスト破り行為を敢えて行おうとし、上告人側において団結と争議権を防衛するために平和的な団体行動を行ふや、待つていましたとばかりに即時その幹部を懲戒処分に附すという実に徹底した蠻勇を発揮したのである。被上告人のかかる一連の所業を見れば本件解雇がいずれの点から見ても違法にして到底その有効を認めることができない筈である。しかるに原判決は前記諸点詳述のように見易き道理を無規し上告人の主張を排斥したのである。

すなわち結論的に以上を要約すると、原判決は本件事案に労働関係法規を適用するにあたり憲法第二十八条の保障する基本的人権の内容を正解しなかつたものであつて、到底破毀を免がれえないと確信する。

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